2009年10月3日 東北大学文学部で行われた 日本思想史研究会10月例会 で報告
『年報日本思想史』第9号に、収録予定。
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今回の主要テキストは、いずれも近畿出土の2銘版(金石文)である。その解明を通じて、日本の歴史全体の骨格に関し、従来の(特に明治以降の)通説に対して根源的な「疑問」を提示した。
その第一は、「小野毛人の墓誌」である。慶長18年(1613)11月24日、山城国(京都府)愛宕郡高野の天皇山(崇道神社)から出土した。これに対して研究は続出した。しかしいずれも、次の2点の「?」を解くことはできなかった。その文面には
「飛鳥浄御原宮治天下天皇 御朝任太政官兼刑部大卿位大錦上 小野毛人朝臣之墓 営造歳次丁丑年十二月上旬即葬」
とあるけれど、日本書紀の天武紀の「朝臣」授与より「8年」早い。また続日本紀にある「小錦中毛人」の記事とも一致していないのである。この2点をすでに伊藤東涯が
で指摘した。結局、薮田嘉一郎説のように、後日(8世紀初頭の頃)「改葬」のさい、「改刻」されたもの、との見解が現在の「定説」となっているけれど、その頃「改刻」したとすれば、日本書紀や続日本紀と一致するように「改刻」するはずだ。従ってこの「改刻」説によっては、日本書紀・続日本紀記事との「矛盾」を説明することはできない。
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その第二は、「船王後墓誌」である。大阪府柏原市の古墳から出土し、現在三井高遂氏の所蔵となっている。
「惟船氏故 王後首者是船氏中祖 (中略) 即為安保万代之霊基牢固永劫之寶地也」の長文である。その中には三人の天皇と、当人船王後との関連が語られている。
辛丑(641)十二月三日が「庚寅」。夫の死。戊辰年(668)が妻の死。干支との関係から、「時限」が特定できる。ところが、関連する天皇名は
@(おさだ)宮 A等由羅(とゆら)宮 B阿須迦(あすか)宮
の三天皇であるが、従来当てられてきた三天皇(敏達・推古・舒明)とは、ピッタリ"対応"はしていない。たとえば、阿須迦天皇は推古でなく、舒明に当てざるをえない、等である。
その上、致命的なのは三天皇間の用明・崇峻・皇極・孝徳・斉明・天智(585〜671)等の天皇名がすべて「無視」されている点である。この銘版は「天皇名と当人との対応」が主眼である点から見れば、不可解である。
さらに、当の船王後が「大仁」にして「品第三」という顕官であるのに、日本書紀に一切その名が出てこないのである。
以上、2例とも「同時代史料」としての銘版は(金石文)と、日本書紀・続日本紀が一致しないこと、この事実は何を物語るか。他でもない。日本書紀・続日本紀の側の「造作性」と「虚構性」をしめす。この帰結以外にはない。
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これに反し、九州には"対応"すべき痕跡(遺跡)が多い。たとえば、
(A)柿本人麿作歌(万葉集167)には「神下し座せまつりて」「神上り上り座しめ」と、「上座(郡)」「下座(郡)」という、九州の筑前国(福岡県)の地名を"背景"にして作歌されている。万葉集の表題「日並皇子尊の殯宮の時」と相反し、この歌の中の「天皇」は九州の筑前国に「座(いま)す」権力者なのである。
(B)同じく、九州の「太刀洗町の下高橋官衙遺跡」出土の「正倉院」は、江戸時代の資料に、「生葉郡正倉院崇道天皇御倉一宇」とあった。それが近隣の太刀洗町から出土したのである。先述の「小野毛人朝臣」の銘版が出土した「天皇山」の崇道神社の「崇道天皇」である。(桓武天皇の弟の早良親王の追号「崇道天皇」と同名。ただ、早良親王の年時は、この数百年あとに当る。)
(C)船王後の銘版の「・等由羅・阿須迦」は、それぞれ「曰佐(おさ・博多)・豊浦(長門)・飛鳥(筑前)」に当り、いずれも「神籠石」の"内部"に位置している。
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当日の質疑は多彩、かつ有益だった。たとえば「船王後の銘版」中の「改行・欠字」問題、また留学生(中国の西安)の方からも、熱心なご質問があった。
特に、玉懸博之名誉教授から、率直な感想のあったこと、感銘深かった。石田一良先生から、わたしの第一書『「邪馬台国」はなかった』を見せられ、「これで、日本の歴史は変わるよ。」とおっしゃっていらっしゃったこと、また御自分も、古田さんの研究の「隠れファン」だった、との証言をもたらされたのである。
かって関晃教授がわたしの講演「日本書紀の史料批判」(文芸研究会、昭和五十五年六月十四日)を聞かれ、「困る。今日の講演には矛盾がないから。」と原田隆吉さんに言われたことをなつかしく思い出していた。
(注)
1,上記で、ブラウザによっては表示できない可能性のある文字が含まれている部分は、画像表記を混用しています。
2,「小野毛人の墓誌」・「船王後墓誌」については、下記リンクをご覧ください。
2-1,
早稲田大学 日本金石拓本コレクションデータベースにて、名称欄に
・小野毛人
あるいは
・船王後
と入力し、"Search"。
右側に、名称等が現れるので、そこをクリックして詳細を表示。
2-2,
京都国立博物館 小野毛人墓誌
京都国立博物館 小野毛人墓誌 A面
京都国立博物館 小野毛人墓誌 B面
2-3,
国立歴史民俗博物館 船王後墓誌(オモテ・複製)